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竹中郁『私のびっくり箱』から苦楽園の話題を続けます。 <とにかく今日走っても、あの東六甲山の斜面はいい眺めで、ひろびろと心地よい。後に六麓荘という一廓がくっついた形でできて、ゆったりとした住宅地の佳景をつくった。苦楽園がはじめラジューム温泉などといって浴場を建てたあたりは(これは三笑橋から東へ少々のところ)様変わりして大正時代の俤(おもかげ)がない。 とにかく一回だけこの温泉の湯につかった記憶がある。大きな浴槽をたった一人で占めて泳いだ記憶がある。> 苦楽園が中村伊三郎によって別荘地として開発されたのは1911年(明治44年)。六麓荘の開発は、1928年(昭和3年)のことですから、昭和の初めの頃は、六麓荘は苦楽園の弟分だったようですが、今や高級住宅地の名前としては六麓荘が鳴り響いています。 ![]() 2011年には下村海南邸があったあたりの住宅開発が進み、当時こんな広告板が現地に立てられていました。 また苦楽園ラジューム温泉は昭和13年の阪神大水害で鉱泉が枯れ閉鎖しましたから、竹中郁がラジューム温泉で泳いだのは昭和の初めの頃だったのでしょう。 昭和9年湯川秀樹は大阪から苦楽園に引っ越してきましたが、夫人の湯川スミさんが『苦楽の園』で家族みんなで窓際に並んでその景色に見とれたと述べています。 ![]() <大阪の家より部屋数は少ないが、空気は綺麗だし、乾燥している上に、南に向いた山の中腹なので見晴らしが素晴らしかった。夜になると阪急、阪神、国鉄の電車や汽車の光が行き交い、えもいわれぬ景色だ。夕食後のひと時、私たちは家族みんなで窓際に並んで見とれたものであった。> ![]() 現在も素晴らしい見晴らしが拡がります。 ![]() この下の住宅地あたりが、ラジューム温泉があったところです が、まったくその面影は残っていません。 ここで竹中郁は「苦楽園」の名前の由来について興味を持ち、この土地を経営した娘の中村孝子さんに尋ねますが、後日土方久元が命名者であったとの報告を受けます。 <この土地の開拓者中村伊三郎は阪急の小林一三と義兄弟の誓いをした仲で、似たようなタイプの事業化だったらしい。中村夫人の努力で、じつはこの命名者は大隈ではなくて、時の宮内大臣の土方久元だと訂正の報告があった。> 名前の由来の詳細については、『月刊神戸っ子』2014年11月号「苦楽園の歴史」に詳しく書かれていました。 <この「苦楽園」という名称は、瓢箪の名前に由来している。開発者の中村伊三郎は、家宝としてある瓢箪を大切に所有していた。この瓢箪の名こそ「苦楽瓢」で、そこから苦楽園と命名したという。この瓢箪は三条実美卿や土方久元伯ゆかりのもので、文久3年(1863)の七卿落ち(尊王攘夷派の7人の公家が京都から追放され長州藩へ落ち延びた事件)の際に死を覚悟してこれで別れの杯を交わしたが、後に無事で会うことができたことから苦の後に楽ありで「苦楽瓢」と名付けられたという。> ![]() 六麓荘が開発される前の大正時代末期の苦楽園の写真です
by seitar0
| 2020-09-25 12:33
| 竹中郁
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