俳人西東三鬼は昭和17年から暮らしたトーア・アパートメント・ホテルでの出来事を基にした短編小説集『神戸』を著しています。その中の「勇敢なる水兵と台湾人」からです。
<そのホテルの私の部屋は、トーアロードに面した二階の二部屋であった。トーアロードは、神戸の中央を、山から海へ横断するなだらかな坂道である。私はその頃、閑散な商人であって、加納町に借りていた事務所にも、まるで顔を出さない日が多かった。私の仕事といえば、朱色に塗られたホテルの窓に頬杖をついて、ぼんやり往来を見下ろすことであった。>
三鬼は昭和13年に歯科医業を退き、出奔した神戸では軍需産業のブローカーをしていました。
当時のトアロードは、開戦後にもかかわらず国際都市らしい風景で、一日眺めていても飽きることはなかったのでしょう。
中山岩太による《神戸風景(トアロード)》昭和14年頃の写真です。
<そういう私の、何かつまっているような耳に、時々、遠くの方から歓声のごときものが聞こえた。それは坂の下の方で、トーアロードの上を横切る汽車に、ハチ切れる程に詰め込まれた兵隊の揚げる声であった。>
トアロードの上を横切る汽車の写真です。
既に太平洋戦争が始まり三鬼のところまで、兵隊の揚げる声が聞えたそうですが、当時の神戸の街が手塚治虫『アドルフに告ぐ』にも描かれています。
電柱にはトアホテルの張り紙が見えます。

パロディのように神戸の街角での野坂昭之の出征シーンも描かれていました。
戦時中も外国人が多く暮らしていた神戸ですが、西東三鬼は『続神戸』で、「神戸という街は、戦争中スパイの巣であった」とも述べていました。
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