陳舜臣『神戸ものがたり』では海軍営の設置に始まる神戸の町の発展、魅力について語られたエッセイ集です。
「異人館地帯」の章では、明治以降急速に進んだ欧化の背景をもとにした神戸的モダニズムについて述べています。<西欧文化の浸透には段階があった。しかし神戸の町には、居留地のなかに「西欧」が忽然と出現した。一般の民衆から隔離された居留地のなかに、それがとじこめられているうちはまだよかったが、雑居地域に指定されたところ、とくに山本通りから北野町にかけて、またしても「西欧の町」が、すっぽりとはめこまれたのである。>
イギリスのノーベル賞作家キップリングには、「神戸はあの忌まわしいアメリカ的な外観だ」と酷評されたものの、英字新聞には「東洋で最も美しく、よく設計された居留地」と称賛されています。
明治11年のC.B.バーナードによる忽然と出現した居留地の絵がありました。中央には西欧風の街にそぐわない籠かきの姿が描かれており、居留地の出現に当時の人々はどれほど驚いたことでしょう。

現在も残っている旧居留地の異人館は、ただ一軒TOOTH TOOTH maison15thというレストランとなっている15番館です。

内外人の雑居が認められた異人館地帯では強烈なエキゾチズムとモダニズムが放射されていました。
<それは夢の世界に似ていた。異なる風土に、むりやり移植された、つくりものといったかんじもするのではないか。まだ、じゅうぶんには根付いていなかったのだ。手をかけて、ひきはがすことができそうな気さえする。苔むした庭石、煤けた壁、くろずんだ柱をもつ日本の家々にくらべると、異人館はガラスとセルロイドでできたおもちゃ、もしくは張り紙細工のように思えた。>
明治中期の山本通りと諏訪山。
北野町3丁目あたりの風景ですが、田畑の中に突然現れた異人館です。
<そうした背景をもつモダニズムは、必然的に一緒の薄さをもたざるをえなかった。が、同時に、あやしいまでに幻想的でもあった。薄さそのものが、ロマンだったからともいえよう。>
陳舜臣が述べているように大正時代の神戸の町を幻想的に捉えて数々の作品を発表したのが稲垣足穂でした。次回は『星を造る人』について。
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