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阪急神戸線が開通して今年で100周年になるそうで、何度か新聞記事にもなっていました。 ![]() 神戸線が開通する前の計画は、灘循環電気軌道という会社が神戸市の葺合より東海道本線・阪神本線の北側および南側を通って、神戸と西宮を結ぶ形の環状線を敷設するための特許を取得しており、箕面電車が、これと路線を接続させる形で、阪神間の輸送に参入する構想でした。 ![]() 『逸翁自叙伝』からです。 <道窮すれば自ら通ず、天は自ら助くる人を助く。かくのごとく貧弱であった箕面電車が阪神間の新線を建設しようと苦心しつつある時、第一次世界大戦の好景気は、私の会社の繁昌とその営業成績の向上を現示した。この機会を逸すべからず、大正五年四月二十八日に臨時株主総会を開き、灘循環特許線買収を決議し、ただちに十三門戸線と特許線合併の認可申請をしたものである。> しかし、この計画に阪神電車から灘循環線の特許壌土株主総会決議無効の訴訟が起こされるなど、紆余曲折を経て、神戸線が完成するのです。 <阪神電車からの訴訟は一審二審、最終において大審院の勝訴に至る三か年間の係争の影響は、著しく阪神間の工事進行を阻害した。諸物価は暴騰した、またその間に住吉、村山氏邸内横断の特許線を変更せよと強要された事件などが起こり、工事の進行はすこぶる遅々たり、はたして遂行し得るや否やと疑問視されたものである。> ![]() この苦難を乗り越え、大正7年に社名を阪神急行電鉄株式会社と改名し、大正9年7月16日に神戸線が開通します。 田舎電車と呼ばれた箕面電車が建設資金を確保するため、あらゆるものを犠牲にしてようやく開通した神戸線。 そしてあの広告が誕生です。 <私はこういう広告文を書いた。「新しく開通した大阪(神戸)ゆき急行電車、綺麗で、早うて、ガラアキで、眺めの素的によい涼しい電車」それがお家芸の一枚看板、電車正面のこの広告が、阪神間の全新聞紙に載った時の私の嬉しさ、アア、ガラアキ電車!オールスチールカー、四輌連結、三十分で突走しているあの日本一の電車の前身である、たった一輌のガラアキ電車!> ![]()
これを読んだ当時の乗客の感想も聞いてみたいものです。 この章、最後は開業当時明治34年と昭和27年の阪神と阪急の決算表を比較して、阪急が大逆転している決算値を見ながら涙する場面です。 <私は最近阪急三代目の連中から別記統計表を受取って、ジッと見詰めていると老いぼけた私のまつ毛に露が浮かぶのである。> 小林一三は阪神に対して相当なライバル心を持っていたのでしょう。 箕面電車開業後、そして神戸線開通後も持ち上がっていた阪神電車との合併談ですが、2005年に村上ファンドが阪神電気鉄道の筆頭株主となった事件から、、2006年には阪急ホールディングスが、阪神電気鉄道を完全子会社化し、阪急阪神ホールディングスとして経営統合されます。
![]()
by seitar0
| 2020-09-18 12:53
| 神戸
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