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樋田毅『最後の社主』を読んでいると、阪急神戸線が御影駅付近で朝日新聞創業者の村山邸を避けて蛇行している「村山カーブ」についての説明がありました。更に、 <阪急電鉄創業者の小林一三は後年、著書『逸翁自伝』で、村山邸の敷地を買収できなかったことについて「まことになんという意気地がなかったであらうと、愚痴らざるを得ない」と述懐している。>という記述があり、早速『逸翁自叙伝』を読んでみました。 ![]() <それは阪神急行電鉄と改名しない前の話である。神戸ゆき急行電鉄の計画は住吉川西堤から一直線に観音林を貫通し、村山邸北庭を横断して現在の御影停車場に至る区間に対し、村山龍平氏から大反対を受けて、此区間を地下道式に変更してほしいという申し出があった。> 最初はそんな計画は、箕面電車の空威張りで実現するわけがないと踏んでいたのが、着々と工事が進行するのをみて、村山翁は隣邸の鈴木馬左也翁と観音林の武藤山治氏(当時は鐘紡社長)を勧誘し、小林一三に会談を申し入れます。ある日、三大人と平賀社長、小林一三が出席し、大阪倶楽部で三時間余りの交渉が始まります。 ![]() (写真は現在も維持されている大阪倶楽部) <静閑なる住吉の別天地に、電鉄をひくことすら我々は大反対である。住吉駅から山の手一帯は、阪神間唯一の明媚閑雅なる住宅地として保護すべき仙境である。其中央を横貫して雑騒の俗天地たらしむるより、地下鉄に変更するとせば、どれだけか其住民は喜ぶことであろう。然も地下鉄に変更するとせば、どれだけか其住民は喜ぶことであろう。然も地下鉄に変更する為めに要する建設費の増加の中へ、我々は百万円を寄付せんとするのであるから是非快諾せよ」> なかなかの名演説。当時の住吉村は仙境と言ってもいいほどの閑静なお屋敷街。 この演説をしたのは、第三代住友総理事の鈴木馬左也翁でした。 ![]() 上の昭和7年の地図の黄線で囲ったところが村山邸、赤線で囲ったあたりが武藤山治邸、 鈴木馬左也邸は御影群家とありますから、村山邸の南側だったのかもしれません。 <「小林君、既に平賀社長は承知して居るのである。君が頑張る理由はないではないか」「そんなに叱らないで下さい。私は住友の奉公人ではありませんから」>と平静を装って答えたようですが、声は震えていました。 最後に「大問題ですから重役会議を開いてきめましょう。然し私は反対であることをハッキリ申上げて置きます」と言い放って席を立ちます。 小林一三は観音林一帯が巨岩磊々の難工事になること、工事のため開通が遅れることが会社の致命傷になることを恐れて、解決策を探ります。 結論はSカーブ。 <さりとて阪神間における巨頭三大人がこれほど辞を厚うしての申入れに対し、余りに冷淡に看過しては申訳がないと思って現在御覧の如く村山邸の北隣を通過するために、観音林からSカーブの悪線に余儀なく変更したことは、今になって考えるとまことに何というう意気地がなかったであろうと、愚痴ざるを得ないのである。> ![]() 航空写真を見ると、大阪側から来た阪急神戸線が村山邸の森のところを迂回して、カーブしているのがよくわかります。御影といえど現在は緑があまり残っていませんが、神戸線開業当時はまだ「阪神間唯一の明媚閑雅なる住宅地」で緑も多かったもでしょう。 ![]()
若き小林一三が立ち向かったのは当時の相当な実力者3巨頭。Sカーブにしても実現するには相当困難な交渉だったことでしょう。
by seitar0
| 2020-08-28 12:04
| 御影
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