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村上春樹の阪神淡路大震災を題材にした『神の子どもたちはみな踊る』(英語版『After the Quake』)は、「新潮」に1999年8月から12月まで『連作 地震のあとで』と副題を付けて発表された5作品と、2000年の単行本化にあわせて書き下ろされた「蜜蜂パイ」の6作品からなる短編集です。 ![]() 村上春樹は中学生時代、西宮市川添町にすんでいましたが、淳平のプロフィールは次のように書かれています。 ![]() (写真はあしはら橋。この橋を渡って精道中学校に通っていました) <淳平は36歳、兵庫県の西宮市に生まれそこで育った。夙川の静かな住宅地だ。父親は時計宝飾店を経営し、大阪と神戸に一軒ずつ店舗を出していた。6歳離れた妹がいる。神戸の私立進学校から早稲田大学に進んだ。商学部と文学部の両方に合格し、迷わず文学部を選んだが、両親には商学部に入ったと嘘の報告をしておいた。> 遠藤周作が、父親に慶應の医学部に合格したと思わせていたのと同じようなシチュエーションです。 <大学を卒業して、彼が商学部ではなく文学部に通っていたことが露見して、淳平と両親の仲は険悪になった。父親は彼が関西に戻って家業を継ぐことを求めたが、淳平にはそのつもりがなかった。東京で小説を書きつづけたいと彼は言った。両者の間に歩み寄りの余地はなかったし、結局激しい口論になった。口にするべきではない言葉がいくつか口にされた。それ以来一度も顔を合わせてはいない。> 村上春樹の他の短編にも、主人公と父親との確執がいくつか描かれており、設定は異なっても、親子の関係はほぼ事実に近かったと思われます。 淳平の小説家としての経歴も短編の名手と呼ばれて村上春樹と同じような設定になっています。 <淳平は地道に短編小説を書き続け、35歳のときに四作目の短編集『沈黙する月』を出版し、それが中堅作家のための文学賞を受けた。表題作は映画化されることになった。> 村上春樹が最初の短編集『中国行きのスロウ・ボート』を出版したのは34歳の時でした。 <彼は自分の文体を持っていたし、音の深い響きや光の微妙な色合いを、簡潔で説得力のある文章に置き換えることができた。読者も固定し、収入もそれなりに安定し、彼は少しずつ確実に作家としての地歩を固めっていった。> このあたりはほとんどご自身の文体について語っています。 そして地震がやってきます。 ![]() <地震が起こったとき、淳平はスペインにいた。航空会社の機内誌のためにバルセロナの取材をしていたのだ。夕方ホテルに戻ってテレビのニュースをつけると、崩壊した市街地と立ちのぼる黒煙が映し出されていた。まるで爆撃のあとのようだ。アナウンスはスペイン語だったから、どこの都市なのかしばらく淳平にはわからなかった。しかしどうみても神戸だ。見覚えのある風景がいくつも目についた。芦屋のあたりで高速道路が崩れ落ちていた、> ![]() 村上春樹は震災の時、タフツ大学の客員研究員としてマサチューセッツ州に住み、TVニュースで震災を知ったようです。 <でも彼は実家に電話をかけなかった。両親と淳平のあいだの確執はあまりにも深く、長く続いていたので、そこにはもう回復の可能性は見あたらなくなっていた。淳平は飛行機に乗って東京に戻り、そのまま平常の生活に戻った。> 震災の時、村上春樹の実家は芦屋市にあり、ご両親は住めなくなった家をあとにして、京都に移られています。村上春樹は3月に一時帰国していますので、実際にはご両親の面倒をみられたのではないでしょうか。 長い間、疎遠になってしまった親子が顔を合わせて話をしたのは、父が90歳で亡くなる少し前、村上春樹がもう 60歳近くになってのことでした。 ![]() 遠く離れた地で故郷が壊された様をニュースで知った村上春樹ですが、小説では次のように語ります。 <大学を出て以来その街に足を踏み入れたことすらない。にも拘わらず、画面に映し出された荒廃の風景は、彼の内奥に隠されていた傷あとを生々しく露呈させた。その巨大で致死的な災害は、彼の生活の様相を静かに、しかし足もとから変化させてしまったようだった。> ![]() 「故郷について書くのはとてもむずかしい。傷を負った故郷について書くのはもっとむずかしい」と語る村上春樹が、震災の二年後どのような変貌を遂げたのか、自分の目で見届けるために西宮から神戸まで歩き、文章にしたのが『辺境・近境』に収録された「神戸まで歩く」でした。
by seitar0
| 2020-08-21 12:25
| 村上春樹
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