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小山牧子著『死の商人の館 シーメンス事件考』で、シーメンス事件を契機として起こった大正政変に関する一場面として、神戸の相楽園(当時は衆議院議員小寺謙吉邸)での立憲同志会の話し合いの様子が「小寺邸での一夜」と題して描かれています。
![]() <形よく刈りこまれた松の枝々が、寒そうに震えている。広大な敷地をもつ神戸中山手通の小寺邸に夜のとばりが垂れこめた。半月の光に照らされて池の表面は、時どき氷片がきらめくように漣がたち、吹き抜ける寒風の底で、苔も枯芝もひっそりと乾いてゆこうとしていた。> 戦前までは園内に小寺家本邸をはじめとする多数の建造物があったものの、西洋風の旧小寺家厩舎以外は全て1945年6月の神戸大空襲により焼失したそうです。 ![]() 現存する門や塀、大灯篭門などから当時の邸宅の広大な様相が想像できます。 <市のほとんど中心部に、まるで市民公園か何かのように広い敷地をとった小寺邸は、その豪壮さと、庭内に内地では見られぬほどに見事に亜熱帯植物の濃い緑の葉を茂らせていることこから、当時は蘇鉄園と呼ばれていた。
![]() (三田学園の創設者でもある小寺謙吉氏) 当時は「蘇鉄園」と呼ばれたそうですが、現在もその名は残されており、入口横には鹿児島から取り寄せた樹齢約300年の蘇鉄が植えられています。 ![]() ![]() 大正二年二月、その小寺邸が襲撃されます。『死の商人の館』でも「小寺邸焼打事件」について触れられていました。 <「デモクラシィねえ」一同は、小寺の言葉を真似た。それは、小寺の政治談議が佳境に入ったころ、必ずとびだす言葉だった。「そうなんや。デモクラシィでないとあかんのや」くり返す小寺の胸に、小寺邸の焼打事件があった昨年の冬の夜がよみがえった。原因は、小寺が国民党の改革派を離脱し、桂太郎の新党運動に参加したことが、市民の信頼を裏切ったものとして彼等の怒りを誘発し、民衆運動にまで高まったのである。> ![]() あの白い塀に向かって墨汁を投げつけたのでしょう。
by seitar0
| 2020-08-19 20:37
| 神戸
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