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日本一の長者村と言われた住吉村(現在のJR住吉、阪急御影あたり)の子女が通ったのが平生釟三郎らが創立した甲南学園。当然、御影の令嬢、村山美知子さんも通われていました。樋田毅『最後の社主』からです。 <時計の針を1926年(昭和元年)に戻す。この年、美知子さんは数え歳で7歳になり、自宅近くの住吉川沿いにある私立甲南幼稚園に入園。翌年同八歳で私立甲南小学校に入学した。> 早速JR住吉駅からお屋敷街を歩いてみました。 ![]() 甲南小学校の北東角に、目立たないですが「細雪」の碑をみつけました。(地図の黄色の丸印) ![]() ![]() そういえば、中央公論社から昭和24年に出版された『細雪』の装丁・口絵は小磯良平でした。 谷崎潤一郎『細雪』の中巻でのクライマックスシーンは昭和13年の阪神大水害で、その様子が克明に描かれています。谷崎松子さんの娘、恵美子さんがモデルとなった悦子が通っていた小学校は芦屋川沿いという設定ですが、その小学校も甲南小学校がモデルと思われます。 谷崎松子さんの『倚松庵の夢』によると、 <六甲の山津波に遇ったのは、住吉の反高林に居を遷してからで、此の日は朝からの豪雨で悦子の恵美子は学校を休ます方がいいよ、との貞之助の意見で行かせなかったが、悦子の通学している甲南小学校は数名の犠牲者も出、泥水を呑まぬ生徒はなかった。こう云う時の直感とか判断は実に正確な人であったと思う。> と書かれており、甲南小学校も相当な被害だったようですが、恵美子さんは無事難を逃れていました。 『細雪』では住吉村の美しい風景とともに住吉川周辺の洪水の様子が描かれています。 <いったいこの辺りは、六甲山の裾が大阪湾の方へゆるやかな勾配を以って降りつつある南向きの斜面に、田園があり、松林があり、小川があり、その間に古風な農家や赤い屋根の洋館が点綴していると云った風な所で、彼の持論に従えば、阪神間でも高燥な、景色の明るい、散歩に快適な地域なのであるが、それがちょうど揚子江や黄河の大洪水を想像される風貌に変わってしまっている。そして普通の洪水と違うのは、六甲の山奥から溢れ出した山津波なので、真っ白な波頭を立てた怒涛が飛沫を上げながら後から後からと押し寄せて来つつあって、恰も全体が沸々と煮えくり返る湯のように見える。> ![]() このあたり、昔はもっと牧歌的な景色が広がっていたのでしょう。 『最後の社主』に戻ります。 <甲南小学校は、東京海上専務、川崎造船社長などを務めた故・平生釟三郎氏が中心となって創立され、個性を尊重した自由な校風で知られている。甲南幼稚園、甲南小学校、甲南中学校、甲南高等女学校、甲南高校は同じグループであった。当時、甲南小学校は各学年とも男女あわせて30人ずつ。美知子さんの学年は男子16人、女子14人だった。少人数の家庭的な雰囲気の学び舎で、当時は主に近所のお屋敷街の子どもたちが通っていた。> 平生釟三郎邸跡にも行ってみました。 ![]() 甲南幼稚園が開園したのは明治43年、翌々年に甲南尋常小学校が開校、土地は住吉村から反高林の3千坪あまりが無償で提供されたそうです。 ところが入学児童が少なくすぐに運営につまずき、一時は廃校も考えたそうですが、財政難で投げ出す訳にはいかないと釟三郎が経営を引き受け、学校の川向かい、現在のオーキッドコート一帯に大邸宅を構えていた鉱山王・久原房之助の援助を仰いで窮地を脱し、やがて運営も軌道に乗っていったそうです。 ![]() 校庭の西側には、住吉川をはさんで、オーキッドコートが聳え立っています。 ![]() 昭和7年の地図を見ると鉱山王・久原房之助邸の広大さがよくわかります。(黄線で囲んだ所) ![]() ここへ来るたびに、跡地に立ち並ぶ高級マンション・オーキッドコートにも目を見張らされます。 この後、昔のお屋敷跡は今どうなっているか、一巡りして来ようと思います。
by seitar0
| 2020-08-13 17:21
| 御影
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