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東京から行儀見習いという名目で、恋人の母親が住む甲東園のお邸にやって来た画子は阪急電車で甲東園駅から西宮北口駅で乗り換え、三宮にお買い物に出かけます。 ![]() そして1987年竣工時の2階コンコースには立柱式のカリヨンが設置され、駅の雰囲気も明るくなりました。 ![]() 清水博子さんが訪れたのは更に後の震災後のことでした。『vanity』から続けます。 <N宮K口のホームで3宮行きを待つうちに、記号のつながりでしかなかった阪神間の地名を漢字としてつかみはじめていた。N宮は西宮、これからむかう3宮は三宮。あたまのなかで固有名詞に変換されていく。阪急神戸線のやわらかい陽となまあたたかい風とほがらかな表情にまみれ、地名に対するみがまえが溶けはじめていた。> 阪急神戸線のあたたかな風景が、身構えていた清水博子さんの心を溶かし始めたようです。 <芦屋川と芦屋のちがい、西宮北口と西ノ宮と西宮のちがい、宝塚と宝塚南口のちがい、甲子園と甲東園と甲陽園と香櫨園のちがいを、電鉄会社のちがいとしてしかまだ把握できない。山側の住人が海側の住人より財産を所持していそうだとおおざっぱな判断はつくが、北の山が峰となって盛りあがる麓の栖み分けが弁別できない。> ![]() 阪神間は狭い海と山の間を、阪急電車、JR、阪神電車の3路線が走り、その駅名に東京から来た清水博子さんはとまどいを隠せません。 「甲子園と甲東園と甲陽園と香櫨園」の違い、確かに電鉄会社の違いではありますが、甲子園は干支のひとつの甲子(きのえね)に由来し、1924年の甲子の年にできた甲子園球場の臨時駅として開業したことに由来。阪急甲東園と甲陽園の甲は甲山に由来するものでしょう。阪神香櫨園駅は香櫨園遊園地を開発した香野蔵治と櫨山喜一の名前に由来するもの。 香櫨園遊園地は阪急夙川駅付近にありましたが、阪神電鉄が遊園地の経営に携わっていたため、阪急は香櫨園の名前を使えなかったのです。 ![]() 大正末の地図を見ると、現在の阪急夙川駅付近が香櫨園と記されています。この地図には、香櫨園鉱泉も記載されています。 夙川自治会発行の『夙川地区100年のあゆみ』によりますと、「昭和7年に阪急電車の駅名と区名を一致させるために、香櫨園区は夙川区と改称され、長く親しまれていた香櫨園は名実ともに発祥地から姿を消した」とされ、現在の阪急夙川駅付近が、昭和7年まで香櫨園と呼ばれていたことがわかります。 ![]() <夙川、芦屋川、岡本、御影。日本中でもっともなだらかな駅名のつらなりを現実にたどる。途中下車の欲望をおさえ、臙脂色の車両に乗りつづける。水の線をいくつも越える。山が近づいてはとおざかる。六甲、王子公園、春日野道、三宮。電車を降りる。空気を吸う。港のにおいだ。> 途中下車したくなるほどの阪急沿線の魅力については、阪田寛夫が『わが小林一三』で、開発の経緯から紐解いています。 ![]()
昭和10年代の風景ですが、阪田寛夫は西宮北口―神戸間、西宮北口―宝塚間、宝塚―豊中間の風景を次のように称賛しています。 <長い長い立体的で緑色の休憩地―これまでの日本にはまだなかった、何と名付けてよいかわからない宙に浮かんでいる匂いのいい世界を、この地上にかたちづくって来たように思われる。昭和でいえば十年代半ば頃まで、筆者の私が大阪市内の小学生・中学生だった時分は、恐らく日本中のどこにも、これほど自然と人工の粒のそろった美しい住宅地はないと確信していた。> この阪急沿線の風景は戦後の高度成長期、更には阪神淡路大震災を経て、自然の美しさがどんどん損なわれ、開発当時の趣のある和洋館もほとんど無くなってしまいましたが、それでもまだ阪急沿線の魅力は残されています。
by seitar0
| 2020-04-22 21:22
| 清水博子
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