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1月の西宮文学案内後期講座は河内厚郎氏と西宮市情報公開課・豊田みかさんによる「作家自筆の手紙から読み解く西宮の風土」でした。 ![]() そこで、小松左京が『西宮文学風土記』の著者・南野武衛に宛てた手紙の中で、野坂昭如『火垂るの墓』に自分自身が登場することについて触れていることが紹介され、、早速全文を読ませていただきました。 小説『火垂るの墓』では、「海行ってみよか」と清太は節子を連れて満池谷から香櫨園浜に向かいます。 ![]() http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061501/p10754972c.html <一直線に走るアスファルトの、ところどころに馬力がとまっていて、疎開荷物を出している、神戸一中の帽子かぶり眼鏡かけ小肥りの男が、むつかしそうな本を両手いっぱいにかかえて荷台に置き、馬はただものうげに尻尾をはねかしている、右へ曲がると夙川の堤防に出て、その途中に「パボニー」という店、サッカリンで味をつけた寒天を売っているから買い喰いし、………>と話の筋にはあまりそぐわない、神戸一中の眼鏡かけ小肥りの小松左京と推定される少年が登場しているのです。 ![]() 「一直線に走るアスファルト」とは小松左京が昭和19年まで住んでいた若松町の近くの、兵庫県道82号大沢西宮線で、阪急神戸線の北側あたりと思われます。 小松左京はこれについて、次のように述べています。 <あれは野坂君特有の、私に対するからかいを含めた脚色であって、当時 -つまり昭和二十年の六、七月ごろは、小生宅は今津の津門宝津町にあり、神戸の川崎重工に勤労動員で通っていて、そのあたりには縁はありませんでした。> ![]() 勤労動員で川重に通っていた体験を折り込んで書かれたのが『くだんのはは』で、石ノ森章太郎が漫画にもしています。 <昭和二十年ごろの自分の写真を見ると、険悪なまでにやせており、「眼鏡かけた小肥りの男」とは、昭和四十年ごろ、野坂君に東京であって、同じ神戸で戦争中の中学時代をすごし、また夙川界隈にも縁あった事を語りあった時の、小生の印象から創作したものでしょう。> これも私の想像通りでした。あの時代、小松左京が小太りだったはずがありません。 ![]() 小松左京と野坂昭如が東京で語り合ったことは、グラフ西宮‘68に小松左京が「なつかしい夙川」と題して、次のように述べていました。 <野坂昭如も、中学時代神戸で焼け出されてしばらくの間、夙川にいて、最近東京であの界隈のこと、パボーニという古い喫茶店のことなどを、熱くなって語りあったものである。> ![]() 野坂昭如は希望していた神戸一中には入れず、旧制神戸市立第一中学校に入学しました。そんな羨望があったのかもしれません。 天国で二人はまた夙川の思い出を語り合っているのかもしれません。
by seitar0
| 2020-01-30 17:00
| 小松左京
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