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村上春樹は芦屋市の精道中学に入学したころ、西宮市の夙川の家から、芦屋市西蔵町に転居しています。芦屋の家は、宮川の東百メートルで、当時の海岸線までは二百メートル余りで芦屋浜まで歩いて泳ぎに行ける距離にありました。 その頃芦屋浜で泳いだ思い出を、『五月の海岸線』で次のように描いています。 <ねえ、もう二十年も昔になるかな、夏になると僕は毎日この海で泳いでいたんだよ。海水パンツをはいたまま、家の庭先から海岸まで裸足で歩いて通ったんだぜ。太陽に焼かれたアスファルトの道はおそろしく熱くってね。ぴょんぴょん跳びながら歩いたもんさ。夕立もあったよ。焼けたアスファルトの路面に吸い込まれていく夕立の匂いがたまらなく好きだっった。> ![]() 航空写真の黄色の矢印の部分が芦屋川河口、赤色の矢印が夙川河口で、水色の線が、昔の海岸線でした。黄色の丸印が西蔵町の村上家のあった場所です。 焼けたアスファルト道は、宮川沿いの道だったのでしょう。 ![]() 村上春樹が少年時代に泳いだ頃の、芦屋浜海水浴場の写真(1960年)がありました。 <家に帰ると、井戸の中に西瓜が冷えていた。もちろん冷蔵庫もあったけど、井戸で冷やした西瓜くらい美味しいものはないんだ。風呂に字は言って体についた塩水を落としてから、縁側に座って西瓜をほおばるんだよ。……… たしかあれは、王貞治が甲子園で優勝投手になった夏だったよ。> 王貞治が優勝投手となったのは1957年春の大会、村上春樹はまだ9歳ですから、夙川に住んでいたはずで、小説ですから記憶違いではなく、創作したのでしょう。 <もっと大きくなってからは(もうその頃には海もすっかり汚れていて、僕たちは山の上のプールで泳ぐようになっていたけれど)、夕方になると犬をつれて(犬を飼っていたんだよ、白くて大きな犬だ)海岸道路を散歩したのさ。砂浜で犬を放してぼんやりしていると何人かのクラスの女の子たちに会えた。> ![]() 海水浴場があった頃、芦屋川河口近くでかき氷などを売っていた「ひまわり」の建物が現在も残っています。右側が堤防と海岸通りの名残。村上春樹はこの海岸通りを犬を連れて歩いていたのです。 芦屋浜海水浴場が水質悪化により閉鎖されたのは1964年で、1966年には小説に書かれている「山の上のプール」、芦屋市民プールが開設されました。村上春樹は高校時代はここで泳いだのでしょう。 ![]() <翌日、僕は鼠を誘って山の手にあるホテルのプールにでかけた。夏も終りかけていたし、交通の不便なせいもあって、プールには10人ほどの客しかいなかった。そしてその半分は泳ぎよりは日光浴に夢中になっているアメリカ人の泊り客だった。旧華族の別邸を改築したホテルには芝生を敷きつめた立派な庭があり、プールと母屋を隔てているバラの垣根つたいに小高くなった丘に上ると、眼下に海と港と街がくっきりと見下ろせた。僕と鼠は25メートル・プールを競争して何度か往復してからデッキ・チェアに並んで座り、冷たいコーラを飲んだ。僕が呼吸を撃見てから煙草を一服する間、鼠はたった一人で気持ち良さそうに泳ぎ続けているアメリカ人の少女をぽんやりと眺めていた。> ![]() 『風の歌を聴け』の映画のロケも芦屋市民プールが使われました。 『五月の海岸線』は村上春樹の懐かしい思い出が凝縮した短編といえるでしょう。
by seitar0
| 2019-10-28 16:36
| 村上春樹
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