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父親からの手紙に書かれていたとおり、須賀敦子さんはエディンバラの「ステイション・ホテル」に泊まるつもりで、ロンドンからフライイング・スコッツマンに乗ってでかけます。 須賀敦子『オリエント・エクスプレス』からです。 <ロンドンを出るときは晴れ上がっていた空が、列車が北上するにつれて灰色になり、私の感覚では東京―大阪とほぼおなじくらいの距離と思えたエディンバラの駅に到着したのは午後の遅い時間だった。> このエディンバラの駅というのが問題ですが、先に進みましょう。 駅に降り立つとStation Hotelという赤いネオンが見え、それを目指して歩きます。暗い通路を行き着いて、いきおいよくドアを開けたとたん、その豪華さに圧倒されるのです。 <あの安っぽいネオン・サインからは想像もつかない、ケイトウ色の赤い絨毯が海のように私の前にひろがっていて、通路の暗さとはうってかわった、まるで豪奢なルネッサンスの宮廷に迷い込んでしまったかと思うほど美しいシャンデリアが、クリスタルのしずくのひとつひとつに光を反射させて燦いていた。> Station Hotelという赤いネオンも、ホテルを探すのにヒントになります。 <あちこちに真鍮がきらめいている、顔のうつりそうなマホガニーの腰高なカウンターの前に立つと、でっぷりふとった、そしてこれも正装した白髪の老バトラーがにこやかに近づいてきた。キングス・クロスの駅を離れてからずっと、往年の父の優雅な旅をあたまのなかで追ってきた私が、そのとたん、貧乏旅行しかしたことのない戦後の留学生に変身した。 「もうしわけないけれど」私はバトラーの顔を見すえて、でもうっかりすると震えそうになる声を気にしながら、切り出した。「三十年まえ、このホテルに泊まった父にいわれて、駅からまっすぐこちらに来たのですが」>
![]() 上の地図の赤矢印の位置にある「ウォルドルフ・アストリア」は、「ステーション・ホテル」といってもプリンスィズ通りの西端にあり、ウェーバリー駅からはかなり離れているのに、何故ステーション・ホテルと名付けたのでしょう。 ![]() 更に調べると1870年、そこにはPrinces Street Stationという駅が幹線駅として存在していたことがわかりました。 しかも、この駅は1965年には完全に無くなっていたのです。 ここから、私の頭の中の混乱が始まったのですが、取り敢えずかつて「ステーションホテル」だったという「ウォルドルフ・アストリア」に向かいました。 ![]() 当時存在したPrinces Street Stationの門も、現在は駐車場の入口となっていますが。残されていました。 豊次郎氏が宿泊したのは、このステーションホテルだったのでしょうか。 このエジンバラ滞在中の私の疑問は帰国後に、もう一度今まで調査した資料と比較した結果、明らかになりました。
by seitar0
| 2019-10-14 09:43
| 須賀敦子
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