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遠藤周作の母、遠藤郁が1935年に洗礼を受けたのは、小林聖心女子学院学院長のマザー・マイヤー、修道女マザー・ハミルトンの感化によるもので、小林聖心の聖堂で受洗しました。 小林聖心女子学院の中学・高等学校校舎はアントニン・レーモンドによる設計で、国の登録有形文化財に指定されています。 ![]() 当時の聖堂は、現在は講堂として使われているそうですが、案内していただきました。 遠藤郁はバイオリンを専門とし、小林聖心で音楽の教師を務め、稲畑汀子さんらを教えておられました。偶然ですが、遠藤郁さんが受洗された場所で、一人の生徒が熱心にバイオリンの練習をされていました。 須賀敦子さんは、敗戦後の1945年10月東京に戻り、聖心女子学院高等専門学校英文科に入学し寄宿舎に入寮します。マザー・マイヤーも東京の聖心に移っており、『ヴェネツィアの宿』の「寄宿学校」に登場します。 <私たちにとってのマイヤー院長は、毎日の寄宿生の夕べの挨拶のときに出会うだけの、物知りで、やさしい、それでいて威厳に満ちたおばあさんといったおもむきだった。人間には学校の成績よりも大切なものがあることを、学校中心の校長とは別の立場から思い出させてくれる、影の守護者といったふうでもあった。> そして、マザー・マイヤーのエピソードがいくつか書かれていました。 ある日、「風と共に去りぬ」が置いてあるのを見つけ、<「もっと大切な本が山ほどあります」とマイヤーさんは言って、ふぉっふぉっふぉっと笑った。「古典をお読みなさい。ホーマーとか、ダンテとか、シェイクスピアとか。『風と共に去りぬ』はそれからでじゅうぶん」>と言うのです。 また、須賀さんが休日の外出許可をもらいに、いつもの校長先生ではなくマイヤー院長のところに行ったときのことです。 <ノックして、高いところに窓のあるその部屋にはいると、マイヤー院長は背もたれの高い椅子にかけて、編み物をしていた。黒い毛糸のはいった大きな籐の籠が足元に置いてあって、院長先生というよりはグリムのおとぎ話に出てくるやさしいおばあさんみたいで、私はすっかり安心してしまった。 「あなたはどこへ行くの」とたずねながら、マイヤーさんは編み物から目をあげてじっと私を見た。とたんに私はまったく関係のないことを口ばしってしまった。 「どうすれば、この本は深いとか深くないとかわかるようになるのですか」 ふぉっふぉっふぉっと彼女は笑った。そして編み物をやめて、私の片手を綿入れのようにふくよかな自分の両手ではさんで、言った。 「いい音楽をきいたり、本をたくさん読んだり、いい絵を見たり。そのうちにだんだん」 A little by little.というのを、彼女はア リーテル バイ リーテルとつよいドイツなまりで発音した。> そのマザー・マイヤーは晩年足が不自由だったようで、小林聖心女子学院のアーカイブ室に、マザーマイヤーが使われていた大きな車椅子が保管されていました。
by seitar0
| 2019-08-26 09:29
| 須賀敦子
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