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国立西洋美術館で日伊国交樹立150周年記念 カラヴァッジョ展が開催されていました。 ![]() ところで、須賀敦子さんの『トリエステの坂道』の最終章「ふるえる手」では須賀さんの文章に大きな影響を与えたナタリア・ギンズブルグの『ある家族の会話』が紹介されるのですが、「ふるえる手」とは年老いたナタリア・ギンズブルグのコーヒーを注いでくれた手と、カラヴァッジョの『マッテオの召出し』に描かれていたカラヴァッジョ自身と思われる手を重ね合わせたものでした。 カラヴァッジョの一枚の絵を題材に、これほどまでに深く考察され、解説されていることに驚き、紹介させていただくことにしました。その絵はローマのサン・デイ・フランチェージ教会にあります。 ![]() <教会の奥まった祭壇のひとつに、カラヴァッジョの『マッテオの召出し』という有名な絵があることを知ったのも、ごく最近のことだ。キリストの十二人の使徒のひとりマッテオは、人にいやしまれる収税人だった。その彼のところに「なにもかも」捨ててイエスに従ったと聖書にはある。その彼のところに、ある日、イエスが入ってきて、ついてこい、という。彼はたちどころに「なにもかも」捨ててイエスに従ったと聖書にはある。その呼びかけの場面を描いた十六世紀の作品で、一見の価値ありと友人が教えてくれた。> その教会に通りかかった須賀さんは、カラヴァッジョを見ていこうと軽い気持ちで入ります。 ![]() <レンブラントを思わせる暗い画面の右手から一条の光が射していて、ほぼ中央にえがかれた少年の顔を照らしている。一瞬、その少年がマッテオかと思ったほど、光に曝された顔の白さが印象的だった。もっと近くから見たい。そう思った途端、照明が消えた。> 鉄製の小箱に二百リラを入れると照明がつく仕掛けになっていたのですが、須賀さんはもう一度来ればいい、できるならだれもいない時間にと思いを残しつつ、その場を離れます。
![]() 確かによく見ると、イエスの顔の上には光の輪が描かれています。
![]() 絵の中のどの人物がマタイかについては、Wikipediaによると、「長らく中央の自らを指差す髭の男であると思われていたが、画面左端で俯く若者がマタイではないか、という意見が1980年代から出始め、未だにイタリアでは真ん中の髭の男がマタイであるとする認識が一般的だが、左端の若者こそが聖マタイであると考えられる。」とされています。 須賀さんは左端の男がカラヴァッジョ自身を描いたものではないかと推察します。 ![]() <もしかしたら、顔に光をあつめたような少年も、おなじふうに自画像ではないのか。ふたりの人物のあいだに横たわる奈落の深さを知っているのは、画家自身だけだ。
by seitar0
| 2019-08-21 20:08
| 須賀敦子
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