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夙川カトリック教会の第三代主任司祭メルシェ神父は、遠藤周作の小説やエッセイにしばしば登場します。 ![]() 写真の左手に見える信徒会館のロビーに歴代主任司祭の写真が掲げられています。 ![]() 第二代主任司祭永田神父が、1937年3月ミサ中に倒れ、帰天されたため、10月に第3代主任司祭アルフレッド・メルシェ神父が着任されました。 そして戦後の1952年三田教会に転任されるまで15年間主任司祭を務められています。 そのメルシェ神父について遠藤周作は『落第坊主の履歴書』で次のように述べています。 ![]() <あまり悪い子なので私は教会の主任司祭、メルシェ神父から大目玉をくった。メルシェ神父はフランス人で実に立派な人だった。戦争中、彼は何もしないのにスパイの嫌疑をかけられて憲兵隊に連れて行かれた。.........戦争が終わって神父さんは痩せこけ、足を引きずりながら戻ってきた。教会における私の幼なじみたちの話によると、彼は、「日本人のことを私は恨んでいません」と最初のミサでひとこと言ったきり、生涯、このいやな過去のことを二度と口にださなかった。 彼が亡くなる一年前、幼友達が私を夙川のレストランに招いてくれたが、老いたメルシェさんも顔を出してくれた。顔色がよくなく、辛そうだった。抑留中に体をすっかり痛めたのであろう。>
須賀敦子さんも戦後、そのメルシェ神父にお世話になっていました。 ![]() 須賀敦子全集第八巻に収録されている松山巌さんの書かれた年譜によると、須賀さんは1947年(昭和22年)に聖心女子学院で洗礼を受けるのですが、洗礼に両親は反対で、メルシェ神父に説得してもらったそうです。 はじめに賛成したのは祖母信さんで、「仏さんも神さんもおんなじでっしゃろ。どうせ神さんはひとつやから。おなじことですがな。」と言い、家族一同びっくりしたそうです 以後、須賀さんは帰郷するたびに夙川カトリック教会の午前六時からのミサに通われました。
遠藤周作は1933年(昭和8年)から1939年(昭和14年)仁川に転居するまで夙川カトリック教会の近くに住まれており、母親の遠藤郁さんは小林聖心女子学院で音楽教師を務められていました。従って須賀敦子さんが殿山町に転居され小林聖心女子学院に通われていた1935年から1937年まで、お二人はすぐ近くに住まれていたことになります。
by seitar0
| 2019-07-30 10:45
| 須賀敦子
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