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神戸市中央区山本通4丁目にあった松方幸次郎邸のお話を『火輪の海 -松方幸次郎とその時代―』から続けます。 <幸次郎の屋敷の西隣に「女学校」と呼ばれた一群の学舎があった。今は、西宮市岡田山に美しいキャンパスを擁する神戸女学院である。ある日、その女学院から、「土地を譲ってほしい」との話が舞い込んだ。さすがの幸次郎も、これには参った。にべもなく断れない事情があったのだ。> 神戸女学院は生徒が順調に増え続け、敷地が手狭になって拡張の必要に迫られており、この土地を垂涎の思いで見つめていました。 上の昭和8年の市街図に、松方邸は記入されていますが、その隣にあった神戸女学院の名前は来ています。 <実は、この学校ができる時に、日本人の中でもっとも心を砕いて経済的援助をしたのが、幸次郎の義父、九鬼隆義であった。西欧文明に早くから傾倒していたこの旧三田藩主は、二人の男児にクリスチャンネームをつけ、自らも晩年は敬虔なキリスト教信徒として過ごした。女学院創立者のタルカット、ダッドレー両女史が、最初に神戸・花隈に開いた私塾も旧三田藩士宅の屋敷の一部を借りたものであり、創設時の生徒のなかには旧三田藩士の子女が何人かいた。> 更に幸次郎の妻好子もこの神戸女学院を明治35年に卒業していたのです。 こんな関係があったことから、困り果てた幸次郎は、考え抜いた末、神戸女学院に次の回答を返したそうです。 <「私の所有地約二千に百坪を二万五千ドルで売りましょう」ただしである。「交換条件として、女学院の敷地を約三千百坪を四万ドルで買い取りたい」> 結局土地拡張が望めない神戸女学院は昭和8年に西宮市の岡田山に移ることになったのです。 松方が住んでいたころはもっと立派な門構えだったようです。 <その広い敷地の南端には、巨大な黒門が建っていた。御影石を敷き詰めた上にそびえる門は、深いひさしを持ち、太陽が高く昇ると黒い影を落とした。屋敷の瓦には、九鬼の家紋がくっきりと浮き上がっていた。門は九鬼家から移築したものだった。> 上の写真の赤茶色のマンションの所に巨大な黒門があったことになるのですが、その面影はまったく残っていません。 思いだしたのが以前「ノマドな神戸異人館ガイド」さんに教えていただいた電柱番号表示。 そこには電線を初めて引き込んだ屋敷の名前が表示されていることがあり、北野町の散策で明治時代の住人の名前が残されていました。 そこで、先ほどのマンションの西側の道を北に上ったところの電柱の番号表示を見ると、下側の札(関電の表示、上の札はNTTの表示)に松方と書いてありました。 間違いなくここに松方幸次郎邸があったのです。
by seitar0
| 2019-07-28 22:42
| 神戸
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