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1948年に刊行されたパール・バックの“The Big Wave”は、日本を舞台に、津波を題材に大自然と共に生きる人々の生と死を描いた物語。その後、1960年にアメリカの映画制作会社と東宝との日米合作映画として製作が始まります。 ![]() その様子が『過ぎし愛へのかけ橋』に書かれており、映画音楽のために作曲家の黛敏郎氏を招いたことが明かされています。 <こんどの映画にたいして、私は純粋の日本音楽がほしかった。アメリカでつくって「東洋音楽」として通っているあの合成的なバカげたものではなく、日本において、日本人の手で創作されたオリジナルである。さらに、それは現代日本人のものでなければなるまい。日本の生活のあらゆる局面に起こった変化は音楽にいちばんはっきりと現れているからである。音楽はすべてのバロメーターであり、一国民の気質、性格、外部の影響にたいする反応などをもっともよく顕現する芸術なのだ。> ![]() そして候補にあがったのが、当時31歳、日本のレナード・バーンスタインと呼ばれていた黛敏郎でした。 ![]() パールバックは初対面の印象について、次のように語ります。 <それは魅力的な顔で、たくましいと同時に柔和であり、静かで、詩人的で、ずるさなど毛頭もなさそうだった。子供の顔というのではないが、いかにもあどけない顔と言いたいくらいである。その表情は、子供っぽいあけっぴろげなところがあった。こうした性質がどんなものであるか私にはすぐわかった。それは高度の才能をもつ人間のうちにのみ見出すことができるものだからである。古い書物に言わせると、「蛇のごとくさとく、鳩のごとくやさしい」性質なのだ。> パール・バックは若き黛敏郎の才能を高く評価していました。 ![]() 黛敏郎といえば約33年に渡って司会を担当されていた『題名のない音楽会』が頭に浮かびます。 <トシロウ・マユズミは日本のレナード・バーンスタインと呼ばれているが、その才能のすばらしさにおいてまさしくバーンスタインによく似ている。しかし、バーンスタインと違って、彼はもっぱら作曲だけに集中している。なるほど、これまで指揮をしたことはあるが、作曲のほうが好きなのである。> この後、パール・バックに促され、黛敏郎は生まれてからの半生を語ります。 更に『津波』の音楽について、次のように語ります。 <「しかし、ニューヨークに行く前に、『津波』の音楽は完成するつもりです。それに、この映画はなみ外れたものであり、まったく普通のものとはちがっています。ぼくの心の中ではもうはっきりと音楽ができています。ほんとうにロマンティックなものですが、ワグネル的にロマンティックというものじゃありません。現代の東洋的な哲学をもった、たくましいが同時にデリケートなものです。」> この時、もう黛敏郎の頭の中には東洋的でロマンティックな音楽が出来上がっていたようです。さらに、歌を入れることを提案します。 <「ぼくはその音楽の中に歌を一つ入れたいんです」彼はまた自分のことを言いはじめていた。「若々しく、新鮮で、希望にみちた、まるで日の出のような歌がほしいんですよ。あなたの描いている若い人たちは、自分たちの自身の時代 -つまり現代において、今までとは違った、自分たちの生活を新しく始めるんですから、それにふさわしい歌がほしいんですね」> ![]() 映画は1961年に完成し、翌年公開されたのですが、現在は「幻の映画」となってしまいました。 2005年10月に雲仙市で一日限りで公開上映されたことがあり、映画に子役で出演したジュディ・オングさんが特別ゲストとして招かれたそうです。
by seitar0
| 2019-07-23 10:35
| パール・バック
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