甲山の山容の変遷を調べていると、明治の初めにはかなり禿げ山だった甲山の頂上に見えていた松の木の本数が、正確に記されていたことが分かってきました。
リチャード・ゴードン・スミスは『ゴードン・スミスのニッポン仰天日記』で、明治37年12月2日の日記に、欧米人からビスマルク・ヒルと呼ばれていた甲山の麓まで狩猟に行ったことを述べ、頂上に4本の松の木があると記しています。
<その後、ビスマルク・ヒル(頂上の四本の松の木が、毛が四本のビスマルクの頭に似ているため、ヨーロッパ人はそう呼んでいる)のふもとにあたる、鉄道の西側と北側へ行った。>
また、ゴードン・スミスが日記の中で紹介しているニテコ池にまつわる怪談で、お抱え絵師が描いたニテコ池から見える甲山にも松の木が4本描かれています。
この4本が間違っていなかったことは、大正初期とされる写真を見ても、甲山の頂上に松の古木が4本残り、その足元は植林された低木で覆われていることからも確認できました。
その後、大正6年には甲山頂上の松は2本となっていたようで、『阪神名所図会』で水島爾保布(みずしまにおう)が甲山の木版画を描き、次のような説明を加えています。
<泥鰌髭のような松の樹が二本ピンと生えた恰好はまこと甲の名にそむかず、頂上にお寺がなかったら此の山もお隣なみにはげたであろう>
さらに大正末期から昭和初期までの「旧甲陽公園とその周辺回想図」には最後に残された1本の松の木が描かれています。
そして戦争が始まったころには、古松は完全に無くなっていました。
戦後また甲山の植林が始まり、頂上にも松が植えられていたようです。
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