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日本人は縄文時代から、火を燃やすために木を伐採し、森の恵みで暮らしてきました。古代から中世を通じて、近畿など先進地域を中心に人口増加とともに森林需要は増加し、森は減少・劣化します。六甲山が禿げ山となっていた主な原因も木材需要の増大による伐採でした。 同様に甲山の山容の変遷を考えるとき、社寺林として保護されていたかどうか、神呪寺の存在はかかせません。 平安時代に創建された神呪寺は、その後武家社会の進展によって有事の際の城郭となり、何度も戦禍にみまわれました。1578年には荒木村重の謀反により、織田軍が攻め入り、甲山でも掃討作戦が繰り広げられます。さらに1590年には秀吉の太閤検地により甲山は領主の管轄となり、寺領も没収され、やむをえず寺を門戸村に隣接する神呪寺村の寺地に移しました。 その後も甲山の所有権の争いは続き、1725年には神呪村のものであるとの裁定が下りますが、太市庄4か村(上大市、下大市、段上、門戸)の入会利用も認められていました。 神呪寺は、ようやく1741年に上ヶ原浄水場脇の仏生原に復興し、その後1755年に現在地に全てが移っています。 したがって戦禍にまみれた時代はもとより、江戸時代に至っても、甲山は入会権を持つ村落により、伐木・採草が行われ、大樹が茂るような山ではなかったと考えられます。 明治30(1897)年に「森林法」が制定され、ようやく森林の伐採が本格的に規制されることになり、甲山の植樹も始まり、大正時代には植林した木が順調に育っていたようです。しかし、1941年に太平洋戦争が始まると、大量の木材や木炭が必要となり、全国の風致林、社寺林、防風林、そして幼齢林まで伐採され、各地の山が禿げ山と化したそうです。 上は昭和6年の関西学院から見た甲山の絵(小林泰次郎、油彩)で、昭和15年には山火事で禿げた部分が小さくなっています。 しかし、日米開戦後の昭和18年の関西学院から見た甲山の写真を見ると、甲山全体がきれいに伐採された様子がよくわかります。 戦時中の甲山の状況の記述は関連図書を調べても見つけることはできませんでしたが、戦時中の西宮の市民生活について、西宮市史には次のような記述されています。 <西宮では十七年十一月に警防団員が川辺郡西谷村切畑(現宝塚)に設置された兵庫県営の製炭所に勤労奉仕に出勤した。また十七年九月から十八年三月にかけて、市役所や各学校の暖房・湯沸かしのための自家用木炭三千五百俵を有馬群小野村・高平村(現三田市)で製造し、夙川公園内の枯死した松を利用して薪三千貫を製造したのも、燃料事情の窮迫をよく物語っている。>
by seitar0
| 2019-05-27 23:07
| 甲山
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