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甲山は明治時代に、神戸に住むヨーロッパ人達からビスマルク山と呼ばれていました。 『ゴードン・スミスのニッポン仰天日記』に、明治37年12月2日の日記に甲山の麓まで狩猟に行ったことが述べられています。 <その後、ビスマルク・ヒル(頂上の四本の松の木が、毛が四本のビスマルクの頭に似ているため、ヨーロッパ人はそう呼んでいる)のふもとにあたる、鉄道の西側と北側へ行った。> 当時は甲山の頂上には4本の古松が見えていたようです。 さてこの「ビスマルク山」の名前が、大正7年博文館から出版された田山花袋『温泉めぐり』にも登場していました。 ![]() <有馬から六甲越をして、住吉の方へ下りて来る路はかなり面白い。この路は住吉の方から登っていくと、なかなか嶮しい山路であるけれども、有馬の方からやって来ると、始め少しの間、登りがあるだけで、あとはすっかり下りであるから楽である。> ![]() 花袋はその阪鶴鉄道で三田から有馬温泉に入り、その後、峠を越えて住吉道を通って住吉駅に行きました。 <住吉の方へ出てくる路は、それを右に入らずに、真直ぐに十二、三町登ると、峠に出る。ここからは、一面に大阪湾を望むことができた。正面に碧く見えるのは紀州の山で、右に大きな水道を挟んで見えているのが淡路島の東南部の山岳である。左には、大阪市の煤煙が手に取るように見え、その向こうに、生駒連山、それに連なって、葛城、金剛の諸峯が碧く鮮やかに空に浮かぶように聳えているのが見えた。> 六甲山から見た大阪湾です。 大正の初め、大大阪は東洋のマンチェスターと呼ばれ、煙モクモク、花袋が書いているように煤煙に覆われた街でした。 花袋は峠から住吉道を下り、「この峠から折れ曲がって下りて来る路が面白い」と下りの風景を楽しみます。 <始めの中は、多少林があってその眺望を遮るが、それも段々下りて来る間に尽きて、前にひろげられた大阪湾が大きな池のように、そこに往来する汽船や舟は丸で玩具か何かのように見えた。例のビスマルク山と呼ばれた甲山が黒く小さく下に見えるのも面白かった。> と、七曲りのあたりから見えた甲山がビスマルク山として登場するのです。 ビスマルク山の呼び名は、日本人の間でもかなり広がっていたようです。
by seitar0
| 2019-05-23 17:19
| 甲山
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