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先月『新美の巨人たち』で貫地谷しほりさんがニコライ堂の内部まで詳しく紹介されていたこともあり、東京に行ったときに訪ねました。 ニコライ堂が竣工したのは明治24年。明治42年に刊行された夏目漱石の『それから』には主人公の長井代助がニコライの復活祭の様子を語る場面があります。 次に、玉岡かおる『負けんとき』では、主人公の眼を通して、特徴的な外観が述べられています。明治30年代、小石川にある播州小野藩一万石の元江戸屋敷に住む一柳満喜子(後のW.M.ヴォーリズ夫人)が女学校からの帰りに水道橋まで来たときのことです。 <この位置からは、満喜子が「独楽」と呼んでいる建物がよく見えた。それは駿河台の高台にあり、椀を伏せたような建物と、それに並んだ尖塔だ。どちらも鮮やかな青緑色の西洋瓦で覆われて、てっぺんには尖った十字架が繊細な線を描いてる。天を突きさすように伸びたその形は、ちょうど独楽を逆さにした姿を思わせた。「ニコライ堂よ」正教会の東京復活大聖堂。その塔の高さはあたりから抜きんでており、皇居を見下ろすほどに高いがゆえに不敬であるとそしられたのもうなずけた。> 東京江戸博物館に竣工時のニコライ堂の模型が展示されています。 創建時に尖塔が宮城を見下ろす形になり不敬であると、右翼による妨害があったのは事実のようです。 また『負けんとき』では、満喜子と佑之進が次のような会話をします。 <「来る途中、佑はニコライ堂を見た?高いのと低いのと」ずんぐり、独楽をさかさにしたような低い方が満喜子は好きだ。「あれですか。低い方はロマネスク様式というものです。対して、高く尖った塔はゴシック様式といって、西洋の地には、もっと高く尖った塔が無数にあるそうです。天へ、天へ、高い塔を造りたがるのは、西洋人が神様のいる天国に近づきたいからだそうな」そうか、神様に近づくためなのか。以前のように前庭で、立ったまま会話は流れる。「コンドルというイギリス人の建築技師が建てたのですよ。鹿鳴館や帝室博物館と同じく」佑之進は博識だった。まだ日本人の手に西洋建築を造るだけの技術がない明治初期、日本が近代国家であることを示す建築物は、みな西洋から法外な報酬で招いた建築家によるものだ。> 建築様式はロマネスク建築やゴシック建築の影響を受けたビザンティン建築といった方がいいのかもしれません。 ニコライ堂はロシア工科大学教授で建築家のミハイル・シチュールポフが原設計を行い、ジョサイア・コンドルが実施設計を担当したそうですが、正教会の特徴的な玉ねぎ状のドームがなくなりマイルドなデザインになったと『新美の巨人』では解説されていました。 こちらは敷地内にある小聖堂(亜使徒聖ニコライ記念聖堂)で、こちらには玉ねぎ状の塔があります。 もうひとつニコライ堂が登場する短編小説は北村薫『蘭と韋駄天』。 東京国立博物館表慶館のドームがトリックに使われます。 ニコライ堂は午後に行くと聖堂拝観をさせていただけるそうです。 私は午前中訪ねましたので、聖堂の内部は見学できませんでしたが、その美しさは『新美の巨人たち』で映像として紹介されていました。
by seitar0
| 2019-05-21 15:09
| 玉岡かおる
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