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谷根千散策から本郷まで足を伸ばして、東大までやってきました。 旧加賀藩主前田家上屋敷の御守殿門であった赤門です。 東京帝国大学に合格し、郷里の九州から上京した小川三四郎は、東京に着いた翌日、同郷で理科大学で教師をしている野々宮を訪ねます。 (東大は明治19年に帝国大学となり法・医・工・文・理の5分科大学体制となっていました) <あくる日は平生よりも暑い日であった。休暇中だから理科大学を尋ねても野々宮君はおるまいと思ったが、母が宿所を知らせてこないから、聞き合わせかたがた行ってみようという気になって、午後四時ごろ、高等学校の横を通って弥生町の門からはいった。> 明治38年頃の平面図がありました。 三四郎は弥生門から入り、黄色の線で囲った理科大学に行きます。その後理科大学を出た三四郎は工科の建築のガラス窓が燃えるように輝いているのを見ながら三四郎池までやって来ました。 <三四郎がじっとして池の面おもてを見つめていると、大きな木が、幾本となく水の底に映って、そのまた底に青い空が見える。三四郎はこの時電車よりも、東京よりも、日本よりも、遠くかつはるかな心持ちがした。しかししばらくすると、その心持ちのうちに薄雲のような寂しさがいちめんに広がってきた。> 三四郎池は、元来、加賀藩の大名庭園として造園されたもので、育徳園と命名され、当時江戸諸侯邸の庭園中第一と称せられたそうです。 このあと里見美祢子に邂逅する場面が描かれています。 <ふと目を上げると、左手の丘の上に女が二人立っている。女のすぐ下が池で、向こう側が高い崖の木立で、その後がはでな赤煉瓦のゴシック風の建築である。そうして落ちかかった日が、すべての向こうから横に光をとおしてくる。女はこの夕日に向いて立っていた。三四郎のしゃがんでいる低い陰から見ると丘の上はたいへん明るい。> その後、穴倉から出てきた野々宮氏がやって来て、三四郎と一緒に帰ります。 <「きょうは少し装置が狂ったので晩の実験はやめだ。これから本郷の方を散歩して帰ろうと思うが、君どうです、いっしょに歩きませんか」三四郎は快く応じた。二人で坂を上がって、丘の上へ出た。野々宮君はさっき女の立っていたあたりでちょっととまって、向こうの青い木立のあいだから見える赤い建物と、崖の高いわりに、水の落ちた池をいちめんに見渡して、「ちょっといい景色でしょう。あのビルジングのアングルのところだけが少し出ている。木のあいだから。ね。いいでしょう。君気がついていますか。あの建物はなかなかうまくできていますよ。工科もよくできてるがこのほうがうまいですね」> 明治後期のキャンパスの写真がありました。 左手に見えるのが辰野金吾による工科大学の建物です。 こちらの絵葉書写真が野々宮さんの評価が高いジョサイア・コンドルによる法文科大学です。 ところで、西洋の教育制度にならって学制を敷いた日本では、当時、学校は9月はじまりでした。その後徴兵令の改正により9月入学が見直されたそうです。 <学年は九月十一日に始まった。翌日は正八時に学校へ行った。正門をはいると、とっつきの大通りの左右に植えてある銀杏の並木が目についた。銀杏が向こうの方で尽きるあたりから、だらだら坂に下がって、正門のきわに立った三四郎から見ると、坂の向こうにある理科大学は二階の一部しか出ていない。その屋根のうしろに朝日を受けた上野の森が遠く輝いている。日は正面にある。三四郎はこの奥行のある景色けしきを愉快に感じた。> 上の写真は当時の正門と銀杏並木。 こちらが現在の正門。 銀杏並木は当時のまま残っているのでしょうか。 正面には、現在は安田講堂が聳えています。 地下にある中央食堂に入ってみました。 5年ほど前に来た時とは様変わり、ビュッフェ形式の綺麗な食堂に生まれ変わっていました。 『三四郎』に登場する理科大学の位置は現在、理1号館となっています。 そこに入ると、内部にカフェスペースも確保されていて、快適な学生生活を皆さん楽しんでいるようです。 昔の学食のイメージはまったくありません。 『三四郎』は、谷根千の様子や、明治時代のハイカラな食べ物も登場し、谷根千散策には持って来いの作品でした。
by seitar0
| 2019-05-08 21:44
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