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ドラマを見た方はご存知のように、夫の大森兵蔵(ドラマで演ずるのは竹野内豊)は日本が初めて参加した1912年ストックホルムオリンピックの監督を務めた人物です。 『マッサン』のモデルとなったニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝とその妻リタ(スコットランド人)の結婚は大正時代のことです。更に遡って、明治時代の日本人とアメリカ人の国際結婚では、私の敬愛する新渡戸稲造とメアリー・エルキントン(Mary P. Elkinton 日本名:万里子)は広く知られていますが、大森夫妻については初めて知りました。 ![]() 明治時代に国の文化や社会的立場、年の差を超えて結ばれた二人はどんな人物だったのでしょう。日本から留学してきた大森兵蔵は得体の知れない人物だったと思うのですが、アニー・バロウズ・シェプリー (Annie Barrows Shepley 日本名:安仁子)は何故日本人の兵蔵に惹かれ、日本に帰化するまでになったのか知りたくなり、調べてみました。 ![]() その頃、アニーが自宅のコックとしてYMCAの学生だった大森を雇ったのがきっかけで、明治40(1907)年、アニーは51歳で30歳の大森と結婚し、来日。夫とともに社会福祉施設・有隣園を設立し、夫没後もその運営を続ける一方、日本の古典文学の翻訳も手掛けました。 ストックホルムでの第五回オリンピック大会に大森兵蔵が妻アニーを同伴して監督として旅立つ様子は、既にドラマで放送されていますが、その様子はほとんど史実に基づいて、脚色を加えたようです。 『私は後悔しない』第一章兵蔵とアニーからです。 <「出発前には、大森さん宅にかよって、奥様から英会話を習いました。そのときの大森さんは、痩せこけて、見るからにもう長旅は無理でした」“日本マラソン界の父”金栗四三が回顧談のなかで、こう語っているとおり、大森兵蔵は病を押してストックホルムへ赴いたのだった。兵蔵は、シベリア経由でヨーロッパへ向かう長旅を、強い精神力と妻安仁子の適切な看護でもちこたえながら目的地に着き、オリンピック初出場の日本選手団の監督として任を果たした。> ![]() 安仁子が描いた兵蔵の肖像画も番組で紹介されていました。 <ストックホルム大会の閉会後、ひきつづいて教育施設視察の任務のためにアメリカへまわった兵蔵は、肺結核の病状が悪化、安仁子に看取られてロスアンゼルス郊外の病院で亡くなった。享年三十七歳。安仁子と結婚して六年後だった。> 兵蔵の死後、安仁子は母国アメリカにとどまらず、夫兵蔵の遺骨を抱いて日本に戻る道を選びます。 <安仁子は、日本へ引き返し、夫の遺志を継いで生きる道を選んだ。かつて周囲の反対をふり切って兵蔵と結婚したとき、それから病気をおして日本のオリンピック初参加を果たす夫といっしょに出発したとき、安仁子は彼との愛の絆にみちびかれて決意し行動した。その愛は不滅だった。> 彼女は、東京に貧しい人々に教育とレクリエーションの機会を提供する「有隣園」というセツルメント運動の施設を夫と設立しており、帰国後は夫の遺志を継いで、その社会事業にあたりました。 アメリカを祖国にもつ日本人として戦争回避を心から願っていた安仁子は、昭和16年、日米関係が最悪の段階に突入した時期、真珠湾攻撃の四か月前に亡くなりました。 安仁子は死の直前に次の言葉を残しています。 「わたしは人生の三分の一を超える三十年以上も日本に住んで、この決断をいちども後悔したことはありません」。それが『私は後悔しない』という松田妙子さんの本の題名だったのです。 全文をご紹介します。(この文章を伝えたいためにブログにさせていただきました) “Since then I have lived thirty years and more in Japan, more than one-third of my life, and have never regretted that daring. I do not say that I have never had homesick moments, but I truly loved my husband’s beautiful spirit. When he could no longer do for his country what he so much wished to do, I tried in my small way to supply his place, and perhaps Japan is now my home as New England could not be now; and other life is now not to me unloved, nor dead, but separated as death dose separate, in a way neve to be put together again.” 大森安仁子さんは、日本人以上に日本を愛し、日本の恵まれない人々の為に尽くした素晴らしい人物でした。 彼女が亡くなった昭和16年は、幻となった東京オリンピックが開催される予定の年でもありましたが、『いだてん』では大森兵蔵が亡くなった後も、安仁子さんは登場するのでしょうか。 ところでシャーロット・ケイト・フォックスさんのファンとしても、日米での俳優としてのご活躍を祈っています。
by seitar0
| 2019-03-25 22:00
| その他
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