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高田郁さんは、『あきない世傳 金と銀』で主人公・幸が生まれた津門村について、次のように紹介しています。 <摂津国、武庫郡津門村。背後に甲を伏せた形の山が控え、彼方には茫洋たる海。西宮との境に清らかな津門川が流れ、十重二十重に田畑が連なる。あまた植えられた松の常緑も目を引く風光明媚な地であった。太古には海に面していたとされ、出船入船で栄え、武庫水門(むこのみなと)の名で呼ばれたと聞く。> さて西暦300年ごろの西宮はどのようになっていたか、広田神社に掲示されている「古代遺跡と現代の西宮」を見ると、概略がわかります。 更に「望海波日記」というサイトに、武庫入江の図が描かれていました。 https://filologos.diarynote.jp/201701161611319371/ 『西宮市史』第一巻第五章「古文献にあらわれた西宮地方」にも務古水門の位置については諸説あるようですが、西宮津門町方面かその東方とする説が有力であるとしています。(上の図の赤色の矢印) 日本書記には、武庫水門に諸国から500隻もの船が集まったことが書かれています。 また古代の武庫之津、武庫の泊、務古水門は同一の泊りであろうと考えられています。 船だまりに水門(みなと)ができ、港の入り口、「津の戸」が『津門』と呼ばれるようになったのでしょう。 『あきない世傳 金と銀』では更に、『日本書紀』に書かれている呉織・漢織伝説も紹介されています。 <仁徳天皇の時代、呉の国から海を渡り、漢織(あやはとり)、呉織(くれはとり)という名のふたりの娘が訪れ、最初に布を織った、との言い伝えが残る。その津門村で、幸は、重辰と房の三人の子のうち、二番目に生を受けたのである。> 日本書紀には、仁徳天皇の一代前の応神天皇の時代に身狭村主青が縫工女を求めて中国江南の呉に渡り、 呉の国王から工女・兄媛・弟媛・呉織・漢織ら四名の織姫を賜り、西宮の務古水門に到着したとあります。 早速、漢織、呉織伝承の旧蹟である西宮市松原町にある喜多向稲荷神社を訪ねました。 史蹟「漢織呉織松 染殿池」の石碑が建てられています。 喜多向稲荷神社の祠 織姫大明神ー染色・織物・呉服・洋服の神 光玉大明神ー産業発展と工場安全の神 宇賀之魂ー衣食住と商売繁の神 と書かれており、漢織、呉織を織姫大明神として祀っているようです。 染殿池はこの神社の裏側にあります。務古水門に到着したとき船を繋いだ松を「漢織呉織の松」といい、その木の下の池の清水を汲んで糸を染め、機を織ったためこの池のことを染殿池と呼ぶようになったそうです。 この地は、文化庁より名勝に指定されているのですが、残念ながら染殿池の由来を書いた看板も薄く汚れて読みにくくなっています。 これらの言い伝えは「染殿町」「津門綾羽町」「津門呉羽町」などの地名にも残されています。 今回は津門の古代まで遡ることができました。次回は津門の江戸時代へ。
by seitar0
| 2019-02-27 17:54
| 高田郁
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