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![]() 『風よ僕らに海の歌を』は史実を基にした小説であり、ジルベルト・アリオッタのモデルとなったオラッツィオ・アベーラさんの息子エルコレ・アベーラさんが、毎日新聞の山縣章子記者のインタビューに答えられ、2016年8月28日の「捕虜収容所の記憶」と題した記事になっていました。一部引用させていただきます。 ![]() < イタリア特務艦の乗組員だったオラッツィオ・アベーラさん(故人)は、神戸寄港中にイタリアが連合国に降伏したため、一時捕虜となった。終戦と共に元捕虜は帰国したが、日本人と結婚したオラッツィオさんは、宝塚市でイタリア料理を広めた。長男のエルコレ・アベーラさん(69)は、父親の話を覚えている。> その姫路の捕虜収容所について小説『風よ僕らに海の歌を』では、次のように紹介されています。 <ああ、着きましたよ。ここです。このコンビニの駐車場、異様に広い感じがしませんか?最近は大型のコンビニが増えたとはいえ、ここまで広いのは、なかなかないでしょう。四百坪はありますかな。まさか今、このコンビニの駐車場になっている場所に、戦争当時、外国兵の捕虜収容所があったやなんて、それこそ地元の人かて、もう誰も知りません。> このコンビニの駐車場を探してみました。 ![]() 戦後は富士製鉄広畑製鉄所として再稼働しますが、その吉田初三郎の鳥瞰図がありました。 小説には西門通りを北に少し歩いた製鉄所のすぐ近くに昭和17年に捕虜収容所ができたと書かれており、どうも広畑区小坂にあるセブン-イレブン姫路広畑早瀬町北店のようです。 (下の航空写真の印の場所) ![]() 姫路の捕虜収容所についてさらに調べると、 「1942年10月、大阪俘虜収容所神戸分所広畑分遣所として、兵庫県飾磨郡広畑町(現・姫路市広畑区)才に開設。12月10日、広畑派遣所に改編。43年2月18日、第1派遣所と改称。9月、広畑町才から小坂に移転。45年8月、第12分所と改称。 終戦時収容人員302人(米300、英1、豪1)、収容中の死者16人。 なお、43年9月9日に神戸港で降伏・自沈したイタリア特務艦カリテア号の乗組員 約150人も、9月26日から翌年7月16日まで一時的に抑留。収容中の死者3人。」 イタリア特務艦カリテア号の乗組員についても記録されていました。 姫路の収容所では栄養失調で亡くなった方もいたそうですが、毎日新聞の記事では長男のエルコレ・アベーラさんが父親の話として <「収容所近くのうどん屋のおばさんがうどんをくれ、そのおかげで今も生きている」。おそらく栄養不足で苦しんだのだろう。オラッツィオさんはそれ以上詳しく話はしなかったという。「話すのも辛い体験だったのでは」とエルコレさんは察する。>と書かれていました。 忘れてはならない戦争の記憶です。
by seitar0
| 2024-05-13 12:51
| 増山実
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