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島崎藤村「山陰土産」福知山から城崎へ
福知山駅に近づくと、アナウンスで福知山城が見えることを知らせてくれます。 ![]() 天正7年(1579年)、明智光秀が中世に造られた横山城を攻略し、ここに近世的な城郭を築き、城名も福知山城と改めたそうです。小さなお城ですが、美しいお城でした。 ![]() ようやく福知山駅到着です。 ![]() <福知山は北丹鉄道乗換の地とあって、大阪からも鉄道路線の落ち合う山の港のようなところである。………僅かの停車時間もあったから私は汽車から降りて、長い歩廊(プラットホーム)をあちこち歩いてみ、生糸と織物の産地と聞く福知山の市街を停車場から一目みるだけに満足してまた動いてゆく車中の人となった。> 福知山では古くから養蚕業が栄え、藤村が訪れた昭和初期には全盛期を迎えていました。また昭和4年にはグンゼの工場も置かれていたそうです。 <摂津から丹波、丹波から丹後という風に、私達は三つの国のうちを通り過ぎて、丹波の和田山についた。そこは播但線の交差点にもあたる。案内記によると、和田山はもと播磨ざかいの生野から出石、豊岡方面へ出る街道中の一小駅にとどまっていたが、汽車が開通してからだんだん開けて、今では立派な市街になりつつあるという。> ![]() <養父という駅を過ぎて、変った地名の多いのにも驚く。ここにむずかしい名がある。八つの鹿と書いて、(八鹿)だそうだ。読めないね。」私達はこんなことを語り合いながら乗って行った。> ![]() <玄武洞の駅まで行くと、城崎も近かった。………間もなく私達は震災後の建物らしい停車場について、眼に触れるもの皆新規巻き直しであるような温泉地の町の中に自分等を見つけた。そこが城崎であった。 何よりもまず私達の願いは好い宿について、大阪から城崎まで七時間も、汽車に揺られ続けて行った自分等の靴の紐を解くことであった。>私もようやく城崎温泉に着きました。昭和の初め、七時間もかっかたそうですが、特急こうのとりで宝塚から約2時間20分の旅でした。 ![]() 城崎温泉駅を出てすぐのところにある外湯が「さとの湯」。ここには足湯があり、皆さん楽しんでおられました。 藤村らが城崎を訪れたのは昭和2年の夏でしたが、その2年前の大正14年5月、円山川河口付近でマグニチュード6・8の直下型地震が発生し、豊岡、城崎の家屋は倒壊、火災により壊滅状態となったそうです。 ![]() 北丹大震災と呼ばれていますが、その復興間もない頃に訪れていますので、震災の爪痕の話しが少し述べられていました。 相当激しかったようですが、泉源が保たれたのは幸いでした。
by seitar0
| 2013-02-20 20:18
| 島崎藤村
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