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修道院に入ることにしたようち昭和26年のことでした。須賀敦子「一九二九年」からです。
<修道院に入ることにしたと私に告げたとき、ようちゃんは、まるで、あしたは神田の本屋に行く、というような、あたりまえなことをいうときの顔だった。そう聞いて私も、戦争中に桜並木の坂道で、こんどカトリックになる、と打ち明けられたときほどびっくりはしなかったけれど、どこの、とたずねると、彼女が北の島の修道院の名をあげたのでふっと胸を突かれた。戒律の厳しさで有名な修道院だったからだ。いったん一人前の修道女になったら、もう修道女たちと立ち話するなどということもほとんどなくて、一日になんどか聖堂に集まって時祷をゆるい抑揚をつけて歌ったり、自分の部屋で勉強をしたり、編物や繕い物など手仕事をしたりする、孤独な生活をする。ちかしい人が会いに来ても、がんじょうな格子をへだてて、会うだけという。 修道女になったら、とようちゃんは、やはりなんでもないことみたいに、つづけた。たぶん、もう会えないと思うよ。………> この修道院、ずっと函館のトラピスチヌ修道院と思っていたのですが、シトー会です。 ![]() 実際に「しげちゃん」が入ったのはカルメル会修道院とのこと、いったいどこだったんでしょう。 ![]() 北海道のカルメル会女子修道院を調べていると、次のような記事がありました。 「カルメル会修道院はキリスト教カトリック系の修道院。伊達カルメル会修道院は、有珠山で有名な洞爺湖の南部、伊達市の街外れの丘の途中にあるむかし布教のために北海道に修道院をつくろうと考え、月形という気候の厳しいまちに修道院を構えた。その後北海道では比較的気候が穏やかな現在の伊達に移った。カルメル会の規則によりひとつの修道院で暮らす人数に限りがあり、いまから20年以上前、希望者が増えたため、十勝地方の幕別町に十勝カルメル会修道院を開設した。」 「しげちゃん」が入られたのは、函館ではなく月形にあったというカルメル会修道院だったのでしょうか。 ![]() 大学を卒業して半年後、大切な話しがあるから、どうしても会いたい、と手紙をもらった須賀さんは母校の大学で会い、二人はホールの出口の西日のあたる階段に腰を下ろします。 <厳しい修道院だけど、私はできるだけやってみたいの。彼女はいった。あなたなら、きっと大丈夫よ。そういって、私は笑った。ようちゃんも、まるいほっぺたにえくぼをくぼませて笑った。> この時期、須賀さんは各地の修道院をめぐり、自分も修道院に入りたいと友人に語ったそうですが、翌年慶応大学大学院社会学研究科への入学を決めます。 <ようちゃんと私は、彼女が短い生涯を終えるまで、ほんとうに死ぬまで会わなかった。彼女の訃報を私はパリで受け取った。知らせてくれたのは、ようちゃんが一年生のとき、よくスカートに顔をうずめて泣いていたふみ子姉さんで、手紙には彼女がみじかい病気で天に召されました、先月、二十五になったばかりです、とだけあった。あんなに元気だったのに、と私は唐突な訃報が信じられない気持ちだった。 ![]() もういちど、私は桜並木の坂道で、靴先をハの字につけて笑っている、ようちゃんを思い出した。ふみ子姉さんに見せてもらった、白い修道女のヴェールをつけて笑っている彼女には、とうとう会わずじまいだった。> ようちゃんのモデルとなっているのは高木重子さん(しげちゃん)でした。実際には「しげちゃんの昇天」で述べられているように、須賀さんは女子大の卒業後35年たった昭和61年、膠原病治療のため調布のカルメル会修道院に移ったしげちゃんと格子窓を隔てて再会します。 ![]()
by seitar0
| 2013-02-09 20:53
| 須賀敦子
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