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小松益喜は「北野小道」を描いた時の風景について次のように述べています。
<このほとりは昔のままの姿を残している。変わっているのは道路ぐらいかも知れない。掘り返し、掘り返して、道の姿は常に変えられてはいるが、大きな視野に立つ風景には大した変化は認められないようである。アスファルトの道がコンクリートうちの道に変わり、右手の奥の借家人が、香港上海銀行支店長からインド貿易商に変わり、六甲山の小鳥が、次第に北野町付近に降りはじめたぐらいのものである。>とあったのですが、いくら絵を見ながら散策してもはっきりわかりません。 ![]() 広瀬毅彦「風見鶏謎解きの旅」でこの「北野小径」について次のように述べられています。 <洋画家・小松益喜さんの作品に、「北野小径」という油絵がある。今の萌黄の館北側のあたりから、東側に向っての細道を描いたものだ。いまでこそ風見鶏の南側は階段状の公園に整備され、視界がカラリと開けてはいるが、昭和三十年代までは、道幅が二メートルに満たない路であった。そもそも人力車が通ればよしとして、つけられた道であったので、風見鶏前までは、くるまがどうしても入らなかった。今思うとこの道路付けの悪さが、風見鶏が開発されすに残った主たる立地的理由だと思う。>これでようやくわかったのですが、このあたりの風景は激変しております。 ![]() 写真は昭和五十四年に写真集「神戸異人館」を出された渥美健一さんという方の作品です。 <渥美さんの写真は、殆どが昭和三十二年から三十八年頃にかけて集中して撮影されている。その当時すでに北野には開発の波が押し寄せてきており、「今記録しておかねばなくなる。」とまるで憑かれたようになって、社長だった渥美さんは仕事を終えるとまだ陽の高いうちから、愛用のライカを持って北野へ出かけていったという。> まるで小松益喜の口癖と同じでした。 ![]() 萌黄の館北側のあたりから、西側に向っての細道の写真は撮ったのですが、反対側は風見鶏の館と広場になっており、まったくその面影を留めていませんでした。
by seitar0
| 2013-01-31 21:03
| 小松益喜
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