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ケティー物語に没入した須賀さんは探検という言葉で頭がいっぱいになります。
<私はあらゆるところを探検したくてうずうずしていた。ケティーの方法なら、アフリカまで行かなくても、探検はできるかも知れなかった。それにしても、どこかいい場所はないだろうか。ちょうどその頃、近所に空き家があることがわかった。その家の門は、私たちの家とはまったく関係のない、光林寺坂という私と妹の通学路に面していたのだったが、もともと人の出入りの少ない家で、その門の奥に空き家があるなど、私たちは想像したこともなかった。それを教えてくれたのは、近所で唯一のともだちだったマサコちゃんで、彼女の家の庭が、なんと空き家の庭につづいているというのだ。> ![]() 早速、光林寺坂へ行ってみました。まず目指したのは光林寺、1678年に創建されたと伝えられ、明治通りに面して建つ臨済宗のお寺です。 ![]() 境内の墓地には尊王攘夷派の浪士に暗殺された幕末の通弁官ヒュースケンの墓があり、港区の史跡に指定されています。 オランダ人のヒュースケンは日米修好通商条約締結交渉などでハリスを助けて活躍した人物です。日本風の墓石には、十字架の下に SACRED/ to the Memory of/ HENRY C. J. HEUSKEN/ Interpreter to the/ AMERICAN LEGATION/ in Japan./ BORN At AMSTERDAM/ January 20, 1832./ DIED AT YEDO/ January 16, 1861. と刻まれ、29歳の誕生日を待たずして亡くなっていました。 ![]() ヒュースケンがどんな人だったのかと日本日記を読んで見ますと、1857年12月7日ハリス一行が江戸城で将軍家定に謁見した時のことが書かれています。 <しかしながら、いまや私がいとしさを覚えはじめている国よ、この進歩はほんとうに進歩なのか? この国の人々の質僕な習俗とともに、その飾りけのなさを私は賛美する。 この国のゆたかさを見、いたるところに満ちている子供たちの愉しい笑声を聞き、そしてどこにも悲惨なものを見いだすことができなかった私には、おお、神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、西洋の人々が彼らの重大な悪徳をもちこうもうとしているように思われてならないのである。>ヒュースケンの率直な感想に、幸福とは何か本当に考えさせられます。 少し勉強になった寄り道をしましたが、目的とした光林寺坂です。 ![]() 光林寺坂とは南麻布四丁目と南麻布三丁目の境界、旧麻布富士見町と麻布本村町の境界を南北に走る坂で、正しい名前は「新坂」なのですが、このあたりに住まれる方は光林寺坂と呼んでいたそうです。 ![]() 須賀さんの時代の面影はまったく残っていませんが、空き家はこの坂の右手あたりにあったのでしょうか。 <わたしたちは即座に決めた。その庭を探検しよう。>どうも探検隊長は須賀さんのようです。 <何週間かの間、私たちはその庭をめぐって、熱に浮かされ続けた。とはいっても。当然、毎日いけたわけではない。マサコちゃんのお母さんやお姉さんが出かける日を、私たちは待ちあぐね、明日は大丈夫そうだという日の夜は、興奮して寝付けないほどだった。庭に入るときには、ケティーの本を教科書のように持って行って、日だまりの庭石にこしかけて読んだこともあった。笹の茂った小径のひとつには、もちろん、ササフラスの道という名をつけた。> ![]() 昨日の記事に書きましたように、須賀探検隊長のササフラスのイメージでつけた小径の名です。 私も子どもの頃を思い出します。西宮にもまだ探検する場所は沢山ありました。山の崖をよじ登ったり、松下邸の隣の空家の庭や満池谷の周りを探検したり、須賀さんとまったく同じような思い出がありました。 <この愉しいゲームは、しかし、じつにあっけなく終わりをつげることになった。お母様に叱られちゃった、とマサコちゃんが、ある日、せつなそうにいった。おとなりのお庭にはいってはいけませんって。もっと女の子らしい遊びをなさいって。私はまた思った。マサコちゃんのケチ。>某女子学院に通っていた良家の子女も時にはこのような言葉づかいをされるのかと安心しました。
by seitar0
| 2012-11-02 20:42
| 須賀敦子
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